mRNAとワクチンについて。

January 10, 2021

はじめに

私は、人間をはじめとする生物の細胞が、DNAとRNAを巧みに利用して必要なタイミングで必要なタンパク質を合成しているということを大学の基礎生物学という一般教養の科目で学んだとき、ある種の衝撃を覚えました。それらのまるで意思が働いているかのような挙動が物理学と化学でほとんど説明できるということにも衝撃を受けたのでした。

電気系の学科に居ながら生物学の不思議さを楽しむ学生はこのようにして出来上がったのでした。自分の研究とは全く関係ない、A,T,G,Cの文字列を現実に存在するアミノ酸の並びに変換するプログラムを作って、細胞内部で起きていることを理解しようとしていたものです。最終的にそのスクリプトはちょっとした暗号化スクリプトに進化しました。

そんな私が、新型コロナウィルスのワクチンがmRNAワクチンと呼ばれていることに興味を示すのは無理もないことです。mRNAワクチンについて軽く触れ、感想を綴って行こうかなぁと思います。

DNAからタンパク質を合成する流れ

以下は生物学をかじったことがある人には不要だと思いますが、私の理解の整理もかねて、生物にとってのmRNAの立ち位置を説明してみます。

基本的に、生物の細胞は以下のような構造をしていて、

動物細胞

【生物基礎】第1章 生物の特徴(細胞), *2より一部改変

ざっくりいうと、細胞は、外部から栄養を取り込み、エネルギーを作り出し、そのエネルギーを元に活動します。細胞は核の中にある生物の設計図、染色体(DNAが主な成分)を参照して、その細胞に必要なタンパク質を合成し、さまざまな機能を獲得します。DNAから、それに対応するタンパク質を合成する過程を翻訳といったりします。

ところで、DNAとは一体何なのか、というと、DeoxyriboNucleic Acid: デオキシリボ核酸のことで、 アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)と呼ばれる4つの塩基が、デオキシリボースという化学物質にくっついて、二重らせん状に整列したものです。詳細はWikipediaでもみてください。

このDNAは各種タンパク質の設計図のようなものとして機能します。 しかしながら、核の中に保存されているDNAそのものは、持ち出し禁止の貴重な資料のようなものです。そのため、必ずコピーをとって、同じく細胞内にあるタンパク質を合成する工場(リボソーム)まで伝搬します。

その際に登場するのがmRNA(messangerRiboNucleic Acid:メッセンジャーRNA)です。 2重螺旋構造を持っているDNAの一部がほどけた時、ほどけた部分に対応する塩基がくっつく形で、DNAの情報がコピーされます。というのも、DNAとRNAの塩基にはそれぞれ対応関係があります。

DNAの塩基は、A(アデニン)とT(チミン)が、G(グアニン)とC(シトシン)がそれぞれ結合することができます。一方で、DNAに似た物質であるRNAの塩基は、A(アデニン)とU(ウラシル), G(グアニン)とC(シトシン)がそれぞれ対応して結合します。

そのため、DNAのアデニンには、ウラシルという塩基がくっつき、グアニンにはシトシンがくっつくことで、DNAの塩基配列の情報を写し取ることができます。この塩基の並びから、情報を持っていない不要な部分などを取り除かれてできるのがmRNAです。で、このmRNAは、1本の鎖のようなものに写しとった塩基が並んでいるような構造をしています。これにより、DNAの情報を外に伝えるので、伝令RNA、メッセンジャーRNAと呼ばれます。

次にこのmRNAが、核の外に出てリボソームに入ると、tRNAというまた別なRNAが結合します。 transferRNAと呼ばれるもので、これは、mRNAの3つの塩基配列にそれに対応するアミノ酸が結合したもので、mRNAにアミノ酸を運ぶ(transfer)役割を担います。 tRNAの持つ塩基配列とmRNAの塩基配列が対応することでアミノ酸の並びが決まります。アミノ酸がたくさん結合したものがタンパク質なので、このようにしてDNAからタンパク質が合成されるわけです。

このアミノ酸と3つの塩基配列の関係を定義したものが、コドンと呼ばれるもので、64種類のパターンに対して20種類程度のアミノ酸が関係づけられています。 ここまでの説明は、結構端折っているので、厳密性にかけるかもしれません。

たとえば、コドンには、開始コドンと終止コドンと呼ばれる特殊なものがあり、どこからどこまでをアミノ酸に変換するかを制御しています。 また、DNAからmRNAを作ったり、mRNAからタンパク質を作る際には、細胞内にあるいろいろな酵素が働いています。

ここまでの話を雑にまとめると、任意のmRNAから、任意のタンパク質を合成可能である、ということになります。で、このmRNAを使うことでウィルスに対抗する仕組みを体に作らせるのが、mRNAワクチンです。

ウィルスとワクチン

mRNAを人間が合成して、人間の細胞内に送り込み、細胞内のタンパク質合成工場に届けることができれば、狙ったタンパク質を合成できるようになるようです。

実は、この仕組みを利用している奴が既にいます。それがウィルスと呼ばれる輩です。一般的にウィルスは通常の生物の細胞のように自ら増えることができません。ですが、奴らは増殖して我々の正常な細胞に次々と感染してインフルエンザのような全身症状を引き起こしていきます。 なぜなら、ウィルスは、生物のタンパク質合成工場を悪用して増殖するからです。

一般的にウィルスの多くはRNAかDNAを持っており、何らかの方法で正常な細胞に侵入し、細胞内部のタンパク質合成のしくみを悪用し、自分のコピーを大量に産み出し、最後にその細胞を破壊して外に出ます。これを他の細胞でも行い、増殖し、我々の身体を乗っ取ろうとするわけです。それでも人間の身体はウィルスにやられっぱなしではなく、対抗する手段を持っています。それが免疫細胞と呼ばれる細胞たちです。白血球やリンパ球などがウィルスや異物などを貪食したり、ウィルスなどの活動を阻害する抗体と呼ばれる化学物質を合成して対抗してくれるため、我々の身体は常に守られているわけです。

ですが、一般に、敵の出現は突然であり、その時にすぐに免疫細胞が万全な状態で戦うことができるかというと、そうではありません。まず、抗原(ウィルスや異物)の侵入を感知した免疫細胞が駆けつけ、ひたすら食作用で異物を除去します。免疫細胞の中には、捕獲した抗原から抗体を産生するものも存在し、それらの働きでその抗原専用の抗体が作られます。その抗体を用いて抗原を無力化するのですが、免疫細胞の移動にも抗体ができるまでにも時間がかかってしまうので、その間、発熱などの症状が持続してしまいます。

しかし、本物のウィルスが侵入してくる前に、すでに抗体ができていたり、戦う準備が整っていたら、この身体を守る戦いは比較的有利になりますよね。そこで考え出された方法が、予め、毒性を減らしたウィルスを注射し、そのウィルスに対して戦ってもらうことで免疫を獲得するものです。これがいわゆるワクチン(生ワクチン)の予防接種です。すでに免疫が獲得されている状態にすることで、感染しても症状を軽くすることができるのです。弱毒化しているとはいえ、ウィルスを注射し、免疫細胞に戦わせるので、人によっては発熱したり、なんらかの副作用が発生してしまったりするのも現状です。ただ、こういった副作用のリスクは極めて少ないことと、そのリスクに比べるとメリットの方が大きいため、予防接種が現代では有効な対抗手段となっています。

さて、話をmRNAワクチンに戻しますと、mRNAワクチンでは、生のウィルスではなく、ウィルスの遺伝情報を解析し、免疫細胞に戦わせるために最低限必要なものだけを合成可能なmRNAを、予防接種で体内に入れるというものです。

mRNA自体は脆く壊れやすいものなので、実際のウィルスのように、脂質でできた容器のようなものなどで運搬するそうで、細胞の中に送り込んだmRNAは翻訳の仕組みによってウィルスの性質の一部を持ったタンパク質に合成されます。このタンパク質に対して、免疫反応が発生しウィルスに対する免疫を獲得するようです。

このmRNAワクチンは、身体に受け入れてもらえるように様々な工夫を凝らしているそうです。たとえば、U(ウラシル)の代わりに、N1-methylpseudouridineという物質を用いているそうです。

あと、mRNAワクチンの懸念に挙げられている、DNAを改変するんじゃないか、という主張は、mRNAがDNAに対してなんの影響ももたらさないこと(DNA -> mRNAの方向にしか情報は移動しない)を考慮すると完全に否定できると思います。

COVID-19 ワクチンに関する提言

COVID-19 mRNAワクチンが働くしくみ

新型コロナ用mRNAワクチンの4つのすごい設計 人類スゲェエ! コロナ制圧の希望はこうしてデザインされた!

また、このmRNAワクチンのすごいところは、上記記事でも指摘がある通り、計算機上で設計されたものであるので、mRNAの塩基配列が世界中に公開されているところです。以下の記事を読んでみると結構面白いです。

[翻訳] BioNTech/Pfizer の新型コロナワクチンを〈リバースエンジニアリング〉する

mRNA の cap にはいくつかの機能があります。たとえば、細胞の核内で合成された mRNA を、核外に輸送するための印になります。ワクチンはそもそも外部から注射するのでこの機能は不要ですが、ないと「不正なRNA」と判定されて分解されてしまうので付けておきます

実は、これが mRNA ワクチンの極めて巧妙な点です。私たちの細胞にはもともと強力な対ウイルスシステムが備わっているため、外来の遺伝子(mRNA ワクチンも含まれる)を見つけると、それが何かをする前に破壊してしまうのです。

しかし、長年にわたる実験の末に、研究者たちはあることを発見しました。RNA の U にちょっとした修飾をしてやると、免疫系の目を逃れることができるようになるのです。マジです。

というわけで、バイオンテック・ファイザーのワクチンでは、すべての U が 1-methyl-3’-pseudouridylyl と呼ばれる物質(Ψ と表記)に置換されています。この Ψ の優れた点は、免疫反応を避けられるにもかかわらず、遺伝情報としては通常の U と同じく扱われるということです。

生物の設計図を、コンピュータで作れるとか、不正なRNAとして分解されてしまうとか、おもしろすぎません?

不正なコードを実行しようとするとウィルス対策ソフトにブロックされるアレみたいですよね。しかもその抜け道を探して任意のコードを実行しようとしている科学者、ホワイトハッカーって感じでなんかかっこいいとさえ思ってしまいます。(破壊はしてないし、悪用ではない?ので、クラッカーではないと思う)

ついに人類は、自分の細胞の中のタンパク質合成工場を、外部から任意のmRNAというコードを用いてハッキングすることに成功したということですよね。しかも、ヘッダー情報まで付けて正常に処理されるようにたくさんの工夫を行って。

生命科学の分野は計算機科学と密接に関わって、これからも進歩していくんでしょうね。

記事の内容に、間違いがあったらすみません…


Written by Blackcat ひよっこエンジニア, いつかは自分でサービスを作りたいとずっと言ってる Twitter